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California / Mylène Farmer 解説(1)

Mylene Farmer.- California from Juan Mt. Lejarza on Vimeo.



※この解説は、以前、ミレーヌファルメールの日本語ファンサイト Filament de lune に掲載させていただいていた文章を再構成した物です。

1.「日も暮れよ 鐘も鳴れ」と「私は残る」について

まずは歌い出しの歌詞を、拙訳と合わせて紹介してみましょう。

 Vienne la nuit et sonne l'heure
 Et moi je meurs
 Entre apathie et pesanteur
 Où je demeure
 日も暮れよ 鐘も鳴れ
 死んでいるような
 無気力さと鈍重の中に
 私は残る

Vienne la nuit sonne l'heure (日も暮れよ 鐘も鳴れ) と je demeure (私は残る) の元ネタは、ギョーム・アポリネール (1880-1918) の「ミラボー橋」 Le pont Mirabeau (1913)。日本でも、堀口大學の名訳で有名ですよね。

そこで拙訳も堀口訳を引用してみたのですけど、一体、何故、アメリカの「カリフォルニア」にフランスの「ミラボー橋」なのでしょう?

結論から言うと、これは国文学で言う「本歌取り」だと思うのです。「本歌取り」とは、著名な先行作品を連想させるフレーズを織り込み、そのイメージやレトリックなどを借用する事…などと書くと何だか小難しそうですが、要は山口百恵の「プレイバックPart2」で使われた技法です。

当時、「真っ赤なポルシェ」のカーラジオから流れてくる歌を、沢田研二の「勝手にしやがれ」だと思った人は、多かったんじゃないでしょうか?もちろん

♪勝手にしやがれ 出て行くんだろう

というフレーズがあるからですね (実際にはこのフレーズ、「勝手にしやがれ」の歌詞には登場しないんですが…)。

ヒロインは、このフレーズと昨夜の「あなた」のセリフを重ね合わせ、強がっていた彼が、実は淋しがり屋だった事に気づきます。

この部分、歌詞だけ読むといささか唐突で、論理に飛躍があるのですが、当時の聴き手は、まったく不自然さを感じませんでした。すでに頭の中に「勝手にしやがれ」の

♪せめて 少しはカッコつけさせてくれ

と強がる男のイメージが、インプットされていたからです。

こんな風に、本歌取りとは「あえて詳しくは説明しないけど、キーワードをあげるから、あとは別の作品から察してね」という手法です。

もちろんキーワードを知らない人にとっては、何の事かさっぱりわかりませんから、ある意味、発信者が受け手を選別するイジワルな手法とも言えますね。

と言う事で、「カリフォルニア」の話に戻りましょう。この歌で一番不思議なのは、アメリカに到着するまでの主人公の心境なのです。

 Aéroport, aérogare
 Mais pour tout l'or m'en aller
 C'est le blues, l'coup d'cafard
 Le check out assuré
 エアポート エアターミナル
 引きとめられても行くわ
 ブルースな 鬱が一瞬
 チェックアウトは確実に

何しろ、pour tout l'or m'en aller (直訳は「どんなに黄金を積まれても行くわ」) なんて、相当な覚悟で旅立とうとしているくせに、いざとなると「オマエ、ホントに行きたいんかい!」とツッコミを入れたくなるほど、ウジウジしてるんですから。

でもこの理由、「ミラボー橋」の読者にはピンと来るはず。実はこれ、"傷心旅行"だったのですよ。

「ミラボー橋」は、"2人の恋は終わったのに、自分だけが変わらぬまま、今日もここにいる" という内容の詩です。おまけにこの詩は、

 Vienne la nuit sonne l'heure
 Les jours s'en vont je demeure.
 日も暮れよ、鐘も鳴れ
 月日は流れ、わたしは残る

というリフレイン部を除けば、一番最初と一番最後が、まったく同じ Sous le pont Mirabeau coule la Seine (ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ[る]) になっているのです。

つまり、詩の語り手の思いは、エンディングで再びふりだしに戻ってしまうわけで、言ってみれば "魔の永久運動" なんですね。これではとても「悩みのあとには楽しみが来る(ミラボー橋)」と、本気で思える心境とは言えません。

「カリフォルニア」の歌詞でミレーヌが本歌取りしたのは、この "失恋という魔の永久運動" のイメージではないでしょうか?

だからこそ、「引き止められても行くわ」とタンカを切ったはずの主人公は、「ブルースな鬱が一瞬」襲いかかったために、土壇場で旅行を中止したくなり、改めて「チェックアウト(=清算)は確実に」しようと思い直したり、機内でも失くした恋を噛みしめて、「死んでいるような/無気力さと鈍重の中に」どっぷり漬かっていたりするわけですよ。そして…。

 Changer d'optique, prendre l'exit
 Et m'envoyer en Amérique
 Sex appeal, c'est Sunset
 C'est Marlboro qui me sourit
 視点を変え 出口を抜け
 アメリカの地に降り立つ
 セックスアピールの サンセット通り
 マルボロが私に微笑む

紆余曲折の末にアメリカへ辿りついた主人公は、ようやく「視点を変え 出口を抜け」、この "魔の永久運動" から解放される事に成功します。サンセット通りでセクシーな「マルボロ」から微笑みかけられ、流れてしまった恋などキレイに忘れて、「私の恋、私の自我が/今ここにある」と強く感じるのです。

 Mon amour, mon moi, je
 Sais qu'il existe
 La chaleur de l'abandon
 C'est comme une symphonie
 私の恋、私の自我が
 今ここにある
 野放図な熱さなら
 まるでシンフォニー

そしてこれまでの反動から、「野放図な熱さなら/まるでシンフォニー」という、ある意味イケイケ状態になってしまいます…。まさに"運命"の転換ですねぇ。

で、このシンフォニー。私は個人的にベートーベンの交響曲第五番がふさわしいと思っているのですが、いかがなもんでしょう?(笑)

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